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どこの掲示板も、だいたい一度は不穏な雰囲気になりますね。誰が本を何冊読もうが、どう読もうが良いじゃないですか(ノ`皿′)ノ
多く読む方が自分のステイタスに合っていればそれで良いし、一冊二冊を深く愛する方が合っていればそれで良いじゃないですか。
面接で個人個人、熱い思いをぶつけていきましょう!!
そして、通過できたなら、その人の考え方が新潮社に合っていた、ということで。皆さんにピッタリ合う会社を見つけましょう!!
こんなノリで進んでも不健康でしょう。
新潮はやっぱ集英社とかと違って硬い問題が出んのかな?
まったくの印象だけど。
人それぞれの本を読むペースや本に対するこだわりは違うと思いますし、出版界に限らず一つの集団には様々な能力や価値観を持つ人が集まるべきことは当然だと思います。
この議論には結論なんかありません。でも、こういう場を通して様々な考えに触れ合えたことが大切ですよね。出版社志望の人と読書量の関係のみならず、ここまで「読書」をめぐった多様な考えに触れる機会はありませんでしたし、私自身も今までの本との向き合い方を改めて考えさせられました。
やはり大手出版社だけに、ツワモノぞろいみたいですね!
それと、私はウランさんの考えに賛成はできないですけど、文章を読む限りではきっと優秀な方なんだろうなと感じます。自分の周りにいたらと思うと、いろんな意味で冷や冷やしますね~
就職活動ですさんだ心を逆なでてくれるね・・・
皆さんのご意見を聞いてもやはり私は古典を読んだことがない方が文学全集の編集をすることなどありえないと思いますし、歴史を知らずして現代を批判・分析することもできないと思っています。
それに皆さん、「本をたくさん読んでも、ただたくさん読むだけでは意味がない」と口をそろえておっしゃいますが、皆さんの周りには、たくさん本を読んでいても感性の乏しい人間がそんなにいるんですか。皆さんはたくさん本を読んでバカになることを恐れて本を取捨選択しているということですか。
私の周りには「本は全然読まないけれど感性の豊かな人」の方が圧倒的に少ないです。鋭い感性を持っている人もいますが、やはりそれが磨かれてない、と感じます。基礎知識に裏打ちされていないから。
本当に読書は基礎的なことだと思います。本=情報ですから、別に紙の本でなくても構わないとは思います。
それから何を考えたのか、それが重要なのは勿論です。でもそれ以前にある程度本を読んでいないと、何を考えるにもデータベースが少なすぎるので思慮が浅くなると身をもって感じます。
「考える」という行為をあまりに感覚的にとらえすぎていらっしゃいませんか。考えるためにはまず知識が必要だと、私は思います。それがなければその考えは単なる思い付きです。
本をたくさん読むだけじゃダメだと思われている方がいたら、ためしにたくさん読んでみたらいかがですか?
読んでいる状態と読んでない状態を、ご自身で比べてみたらよいと思います。
長々とお付き合いいただきましたが、私もいい加減みん就を卒業します。まだ就職活動気分が抜けきっていないのでつい書き込んでしまいましたが、もうやめます。
皆さんがもっとたくさん本を読むようになって、感性を磨かれることを願っています。それでは。
読書量のことですが、私はやっぱり関係すると思います。それでどうこうなるとは思いませんし、それが選考に関わることはないと考えますが、出版社はこれからも本という形で作品を世の中に出していくのではないでしょうか。
確かにこれから出版の形態は変わっていくでしょう。
でも本という形がなくなるとは思えないのです。
Web上で作品を発表していくということはこれからも増えると予想されますが、やっぱり編集者の道を進むときに多くの本に触れることは重要なんじゃないでしょうか。
本って、内容だけではないでしょう?
装丁やなんかもありますし、売り方もありますよね。それと作品として完結してるという感覚もあると思います。
だから、やはり多くの本に触れることは必要なんじゃないでしょうか。多ければ多いほど良いというわけではありませんが、色々な本を読んで見て、ということも絶対条件にはなると思うんです。確かに多彩なメディアに触れて、今どんな状況でこれからどんな風になるのか考えることも重要です。でも本という形のものに触れることもやはり大切だと思うし、そうなると冊数も参考にはなると思うのですが・・・。
ということを書き込みを見ていて思いました。
筆記まであと2週間きりましたね。
皆さん、がんばりましょう!!
ただ、掲示板を見ている限り、ウランさんの書き込みに感情を逆撫でされたり、書き込みを見苦しく感じておられる人が多いのも事実だと思います。いちいち引っかかるような言い方をしなくても、皆大人なんですから(笑)それと、見苦しいといわれているのであれば、あなたがどう思おうと見苦しいんですよ、きっとね。
また見にきますね。
結論が出るわけでもないし、最近ここは自己満足の渦で気持ち悪い。と言いつつ自分も志望しているので見てしまうのですが・・
それにまっこさんの仰るとおり、これからは出版=読書オンリーみたいなイメージも変わってくると思いますよ。ウェブ発の文学もあるし、とにかく多彩なメディアに触れることも大切です。俺としては年間読書量を書くなんて来年あたりから無くなるんじゃないかと思ってます。
要するに、読書なんて必要ないと言ってるわけではない。出版を志す人なら読んでいて当然だし、その書籍形態も分野も多岐に渡る以上、冊数だけでの比較は無意味だと言っているのです。ましてやそれだけで選ばれるなどあってはならないことだし、もし新潮社がそんな風に(つまり100冊の人より300冊の人の人をそれだけの理由で)選ぶのだとしたら、はっきり言って絶望です。
でもそんなこと無いでしょ、常識的に。
要は筆記であり、面接。
読書量も、実体験としての経験もどちらも大事であり、両方多いことにこしたことはない、ですよね。
あと・・自分の意見を主張するのも大事ですが、他人の気持ちを推し量って言葉を発することも大事だと思います・・。
みなさん、ジャーナリストor文芸魂無いんですか?
なぜ「読書量なんか関係無いよ」なんて意見がまかり通っているのか理解できません。
新潮社でなくて、マスコミ行きたいってだけの人なんでしょうかね。
不可思議だ。
もしそんな考えの出版社はそっこうでつぶれるね。家で本を読むのと、外に出て外気にふれたり、流れに触れたりするのとで、どっちが売れる本や雑誌を作れると思います?
いかに売れる本を作るか、いかに注目される話題をキャッチできるか。そういう感性を培ってきた人のほうが求められるのではないのかなと思いますけど。
一体あなたはそんなにえらいんですか、と思う。
どっかの重役ですか?
掲示板てこういう人がでてくるんだって、改めて思いました。
出版業界は体質が古く、バブルがはじけてからもそれをずるずると引きずってきました。そのツケが今まわってきて、どの会社も非常にピンチな状態です(もちろん大手も)。今後業界全体でリストラ(もう始まっているけど)や倒産、合併が続く思います。こういった現状の中で、求められるあるいはこの業界で生き残れる人は、本という形態にこだわらず、マーケティングを含めてさまざまなコンテンツを企画できる人だと思います。
個人的には元気がある、行動力がある人が向いていると思います。不真面目は論外、ある程度の基礎学力はなければ困りますが、それだけでも難しい。理想を言えば個性があって周囲から“こいつおもしろい”というわるような人物、それからコミュニケーション能力の高い人物はどの業界でも重宝されます。
それと編集者にはひとクセのある人が多いので、もし面接でイヤミを言われても笑顔で切り返すことが重要ですよ。
あまりにも不毛な議論。
それより筆記のこと考えましょう。
「数量がいかに豊かでも整理がついていなければ蔵書の効用はおぼつかなく、数量は乏しくても整理の完璧な蔵書であればすぐれた効果をおさめるが、知識のばあいも事情は全く同様である。いかに多量にかき集めても、自分で考えぬいた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考えぬいた知識であればその価値ははるかに高い。」(ショウペンハウエル「思索」)
読書は「目的」でなくて自分で物事を考えるための「手段」ですよ。ですから、年間の読書量が10冊でも20冊でも、自分で物事を考える力を持っているのならばその人にはそれで十分読書は有益なものになっているといえると思うのですが…。
また、この力は必ずしも読書をしなければ身につかないものでもないと思います。世の中には本を読まなくてもそういう力を持っている人はたくさんいますよ。ですから、読書量の少なさをもって他人を批判するのは失礼なことだと思いますし、ましてや強要するのはよくないですよ。
ショウペンハウエルはこうも言っています。
「読書は、他人にものを考えてもらうことである。」(「読書について」)
彼は「思索」をともなわないで「多読」をすると人間は「愚者」になってしまうと言っています。誤解しないでいただきたいんですが、ウランさんのことを愚者といっているのではないですよ。ただ、そういう考え方もあるということです。
>ウランさん
もう内定を貰っているあたり、貴方なかなかのツワモノですね。その言葉にも説得力がついてくるってもんだ。なんだか出版業界のこと誰よりも知っているみたいですし。
とりあえず私は筆記の勉強しますよ。貴方曰く「読書数が少ない人は筆記で通るのが難しい」ようですから。
・・・しかしここの噂が他の掲示板まで広がっているって・・・ホントですか?・・・猛省orz
>ウランさん
>「正直なところ、年間30かそこらしか本を読んでいない人に
>編集で内定でるわけないというのが私の気持ちです。」
別にそう思うのは構わないけど、他の人にその価値観を押し付けるのはやめましょう(苦笑)
「そう思わない人もいるかもしれない」と考える余裕すら持てないのか。
仕事を始めたら、価値観の違う人とばかり働くんですよ?
その度に相手を言い負かしても仕方ないでしょう。
おはようございます。何だか争ってますね(笑)
ウランさんの言っていることは間違いではないと思います。しかし、「大学時代1冊も本を読まない」で出版社に内定もらった人もいます。
要は、いかに自分をアピールできるか?だと私は思いますよ!
まぁESで0冊って書いて足きりされたらそれまでですけど。(笑)
しかし、その年間0冊の人は現在、10冊を越える書籍を出版しTVにも多く出演しています。
その人の名前を出すことはできませんが、実際に本を読んだことがなくても、「本を出版できた」ということを忘れないでください。
その人が言うには、面接でこのようにアピールできると・・・
「私は大学時代、本を1冊も読みませんでした。」
「何故なら面白そうだと感じる本はなかったからです。」
「ですから私は、本を読んだことがない人に向けた面白い本を出版することができます」
こんな感じです。
確かに多くの書籍を読んだ方が知識も増えるし、こんな表現の仕方もできるのかと感じることも多いと思います。
要は、全部本人次第ですよ(笑)
ここの掲示板も多くの読者がいるということを忘れずに、あまり熱くならずにいきましょう♪
あ、別に私に返信しなくていいですからね☆(笑)
皆さん頑張りましょう♪
というか、もう働いているのですけれどもね。
久々に見てみて、目についたので書いてみます。
何冊だからES通ったとかの議論はあまり意味ないですよね。
だって私は大学4年間で30冊も読んでませんもの。
志望は一番でしたから、何かの拍子で入った訳ではないです。
なのでウランさんの言葉は耳が痛いですね(笑)
でも、それで本を読むかと言われると、そうはならないと思いますが。
読書量がなんだとか言う前に、ステレオタイプな考え方が一番マスコミ全般、ひいては社会的に生きる事に一番邪魔になると思いますよ。
>私はもう進路が決まり、ここのESは通りましたが筆記は受>けないつもりなのです。
この時期に進路が決まったということはテレビ局(それもキー局か準キー局)ですか?
たしかにそれなら新潮社を受ける必要はないですね(^^)
うらやましい…。
読書量については本を何冊読んでいるのかということよりもどんな本を読んでいるのかという点について深く聞かれると思いますよ。
私は読書という範囲について、みなさんの意見を知りたかっただけです。決して読書量での優劣を決めたかったわけではないです。
ただ、他人への批判さえなければ、議論の様な書き込みは決して悪いことではないと思います。ブレインストーミングと考えていただければ、お互いの意見交換は良いのではないでしょうか?
私の意見は、出版業界としては読書量が多い人も少ない人も色々な人がいて成り立っていると思います。様々な人がいるから、様々な本が作られると考えているからです。むしろ読書が嫌いな人がいてもいいとさえ思っています。なぜなら、読書が嫌いな人からの視点というのも大事だと思うからです。出版業界で働く人がお客様としてお相手するのは決して読書好きばかりではないからです。
また、本から学ぶことがたくさんあるのは事実でしょう。しかし、本以外にもスポーツをしたり、友達と遊んでいても学ぶことはたくさんあります。全てに対して経験豊富な人などいないでしょう。どこの業界を目指そうが、人それぞれ色々な経験をして来た人がいていいと思います。
長くなってしまい、申し訳ありません。結局何が言いたいのかわからなくなってしまいましたが・・・とりあえず筆記を頑張りましょう!
でもまぁ読書量なんてある程度あれば関係ないと思いますよ!ようは本に対してどれだけ愛情注げるかってことでしょ?それは数では表せないと思うし。
新潮社を目指してるんだから多かれ少なかれそういう思いを持った人が集まってるはず!そんな人たちとこれから合えると思うと純粋にわくわくしますね。みんなそれぞれがんばっていきましょう!
それにしても筆記は何が出るのかしら?どきどきだわね。
それを承知で思ったことは、読書量が少なかったとして、それを面接まで進んだときに突っ込まれたとしても、それを武器にもできるんじゃないかなー?というか少なくとも私は武器にできると思うよ。
まぁ多く読んでりゃ読んでるほどいい、そうじゃない人が出版社を志望するわけがわかないって思ってる人達はそんなこと考えもしないだろうけど・・・・。
っていうか、そんな風に上からえっらそーに人を見てるような人が作る本なんて読みたくないよ。
筆記試験予想の方が有意義な話題ですよね。どれだけ読んでてもひっきを突破できなければパーですし。
でも普段週刊新潮を読んでない私には厳しいものがあるんだな…バックナンバーで詰め込まないとー
>プルタブさん
当然、出版社に必要な基礎知識ではありません。
基礎知識とは例えば古典のようなものと私は思っています。
私の趣味はどうでも良いでしょう。ここでは関係ないことです。
>ビッパーさんへ
私あての批判ではなかったのですか。それは勘違いしていました。すみません。
>自分が優位に立とうとしているのが貴方の文章の端々から滲み出ているのに気付きませんか?
そう言われても、私はそのつもりはありませんのでどうともお答えできません。
「正直なところ、年間30かそこらしか本を読んでいない人に編集で内定でるわけないというのが私の気持ちです。」に関しては、正直なところを書いてしまいました。失礼しました。
私は出版志望に限らず、誰にでももっと本を読んでもらいたいと思っているので、10冊でもES通ったよ、20冊でも通ったよ、と言い合っている姿をみて情けなく思ったのです。
>私が思うに年間読書量はおそらく本を作ることとはほとんど関係ないでしょう。
私は大いに関係すると思っています。だから意見がかみ合わないのでしょうね。読書量と本を作る能力が比例するとは勿論思いませんが、ある程度の読書量は必須だと私は思っているのです。本を読めば、世界が広がりますよね?たくさん読めば、もっと世界は広がりますよ。そういう簡単なことだと思います。
>事実10冊の人がES通っているわけですし。ではなぜあのような質問があったのか?
採用する側が知りたいのは、受験生がどのように本と接しているのか、またどれだけそこから自らの肥やしにすることができたか、でしょう。
私はビッパーさんとは違って、読書数の項目はどの程度本を読む習慣があるのか、そしてどの程度基礎的な教養があるのかを見ているのだと思います。
読書数が少ない人は筆記で通るのが難しい。だからESでは絞らないけど、結果筆記で落ちるので構わない。読書量が少なくても力のある人は受かる、ということなのかなと思っています。例年新潮社の筆記はスタンダードな文学の知識を問う問題が他に比べて多いじゃないですか。そんな出版社が読書量を気にしないはずがないと思います。まぁ、ほんとのところはわかりませんが。
10冊の方が通過できたのは新潮社がほとんどESで落とさないというだけだと思います。受験生がどのように本に接しているかをビッパーさんは年間読書量からどのように読み取るのでしょう。私はあまり思いつきません。これらはESの他の部分でみているのではと思っています。
再三言いますが、私は冷静なつもりです。言ってしまいますが、私はもう進路が決まり、ここのESは通りましたが筆記は受けないつもりなのです。だから優位に立つとか立たないなどとは無縁なのです。
ビッパーさんとは根本的なところで意見が合わないようです。私は本をほとんど読まなくても本を作ることはできるというビッパーさんの意見にどうしても頷くことができません。なので、もうこの点に関しては意見を出し合っても無意味かと思います。
出版社志望の方はそれ以外の方よりも本や雑誌が好きなはずです。それなのにこれだけ本を読んでない方がいる(ごく一部だったら良いのですが)。もっと本を読みましょうよ。出版志望の方がこの状態で、出版社の未来が明るいと思いますか?読んでなくても良いから、とにかくもっと読もうとして下さい。おせっかいなのは重々承知ですが、切にそう思います。
普段からたくさん本を読まれている方には大変失礼な書き方ですが、ご容赦下さい。
あと、どうでもいいですけど、スピードは「早く」なるのでなく「速く」なるのだと思います。
こんな漢字を誤変換してしまうあなたも危機意識をお持ちになった方がいいのでは?
僕は小説20冊って書きましたよ。そんなに読んでないかもしれないけど・・・。小説よりも雑誌とかはさっぱりなので、そっちを突っ込まれたら危険、それよりも目の前の筆記なわけだけど。
少なくとも小説は読めば読むほどゆっくり味わいながら読みたくなるのは俺ふだけか?
数ねえ。まあ、80枚程度の小説読んでも一冊だし、
一冊夏目漱石(正式名称忘れた。一冊の本に漱石の小説網羅されてるやつ)読んでも一冊だわな。
正直読書量なんて結構どうでもいいと思うわ。
まあ、楽しいから読むとか知りたいことが有るから読むとかなら50冊くらいで十分じゃないの?
本読むだけで日々過ごすわけにもいかんしね。
付き合いもあるし、他に楽しいこともいっぱいある。
自分が言い負かさないと終わらないってか。
ぐちぐち言ってないで、結果で自分の正しさ証明すれば?
私は別に貴方を批判したわけではありません。が、貴方のその過剰なまでの自己主張は見ていて痛々しいものがあります。
自分の読書量と他人の読書量を比較して自分が優位に立とうとしているのが貴方の文章の端々から滲み出ているのに気付きませんか?特にこの一文
>正直なところ、年間30かそこらしか本を読んでいない人に編集で内定でるわけないというのが私の気持ちです。
言う必要も無いことを言って相手を過剰に貶めている事に気付きなさい。それに読書量が少ない人も「本を読んで」はいるわけですから。その上でその人なりに本が好きだから、本を作ってみたいから出版社を希望しているわけです。それが通るかどうかは貴方の及び知る所ではありませんから。
私が思うに年間読書量はおそらく本を作ることとはほとんど関係ないでしょう。そりゃ全く本を読んでいない人にはつくれないでしょうが、多く読んでいれば本が作れるとも限らない。事実10冊の人がES通っているわけですし。ではなぜあのような質問があったのか?
採用する側が知りたいのは、受験生がどのように本と接しているのか、またどれだけそこから自らの肥やしにすることができたか、でしょう。そういう意味であの例えを使ったのですが理解していただけていないようで残念でした。
というわけで今一度冷静になって頂ければ幸いです。各言う私もこんなことをいっているあたり痛々しいものがありますがw
>読んだ数も大事でしょう。基礎知識がないと考えに深みがでませんよ。
読んだ数=基礎知識に直結するとは思いません。第一、何の基礎知識でしょうか。出版にまだ携わっていない人が、出版に必要な基礎知識を知っているようには思えません。
書籍以外でも旅行やアルバイト、テレビでもインターネットでも実体験から得るものも多いはずです。
旅行の雑誌を編集するとして、年中家にいるかたにリアリティのある雑誌が作れるとは思えませんし。
二日に一冊本を読むということは大したことだと思いますが、他のご趣味はないのでしょうか。
ただ、この話題が不毛だという意見に関しては賛成です。
なぜ勉強のために読んだ本を読書数に加えないのですか?謎です。
米粒の例えは全く的外れと思います。もしESで一年間に食べた米粒の量を聞かれたら、当然書くでしょう。一日に食べる粒の数を推算して、米を食べる日数をかけて、推測で出します。読書数も同じです。私もいちいち読んだ本すべてを覚えていませんが、大体2日に1冊読むからと計算しました。
>大切なのは本を読んだ数じゃなくて、読んだ本からどれだけ学べたか、どれだけ楽しめたか、なにを感じたかって事でしょ?
読んだ数も大事でしょう。基礎知識がないと考えに深みがでませんよ。
>TKOさんへ
優越感などありません。私は自分の読書量はまだまだ足りないと思っているから。私は嫌味など書いてませんし、そこらの批判よりよっぽど冷静に書き込んでいると思っています。
ただ、本を読まない人を哀れに思っているところはあるのかもしれません。今までの本を読まずに過ごした時間がとてももったいないなと。
水帆さんがおっしゃったように、要は本を読まずにどうして本が作れるのか、ということです。
正直なところ、年間30かそこらしか本を読んでいない人に編集で内定でるわけないというのが私の気持ちです。
本を読まない人に聞きたいです。なぜ読まないのか、それなのにどうして出版社を目指しているのか。
しかしながら、確かにこの話題は不毛です。ただ、出版を目指すものとして、せめて自分の読書量の少なさを自覚し、これからもっと本を読んでもらいたいと思って書き込んでいます。何様だ、って感じではありますが。
本をもっと読めば批判にももっと説得力が出ますよ。
もう止めましょうよ(´Д`;)
自分の読書量が多いからって優越感に浸っているようにしか見えませんよ。正直見苦しいですから。
読書量にこだわる人達に聞きたいんですけど、あなたは昨年一年間に食べた米粒の数を覚えていますか?
要するにそういうことじゃないんですか?大切なのは本を読んだ数じゃなくて、読んだ本からどれだけ学べたか、どれだけ楽しめたか、なにを感じたかって事でしょ?いくら本を多く読んだところでそれが頭に入っていなければ何の意味も無いわけですし。
私は50冊と書きましたけど、正直1年間に読んだ本の数なんてわからない。いちいち数える必要もないですからね。
その上、大学の勉強のために読んだ本まで数えたらそんなのキリがないですよwwwwwwそれがvipクオリティwwwww
本が好きな人は本を読むのが速いし、ある程度は量を読んでいると思います。
学生の義務感としてと言うよりも、本は色々な教養や感性を与えてくれます。人生、勉強であり、娯楽を楽しみたい、その気持ちで本を読んでいます。
確かに読書は量でなく質です。
でも本当に良い本はたくさん読まないと分からないし、逆に1冊でも感動する本に出会うと本に夢中になると思うのですが、皆さんは本を読まないで本を作りたいと思うのですか?
でも、ここで話すには確かに問題予想の方が有意義ですね。
私も時事はもちろん、手紙の書き方や正式な作文・ビジネス文書の形などはきちんと抑えておきたいなと思っています。
ま、他人がどうあれいいんでない?
そう熱くならずに筆記の話をしましょうや。
少ない人も多い人もESは通ったわけだし。
読むのが遅いということは、それだけ本を読んでないということでしょう。
私が学生として、といったのは、本を読まなきゃ大学の勉強は成り立たないようにできているからです。
本を読まずにまともなレポートは書けないでしょう?
芸術分野やフィールド系など、本を読まなくても成り立つ学問もある、という反論もあるかと思いますが、これらの分野だってたくさん専門書があります。本はすべてのものの基本なのです。多少の違いはあれど皆さんそう思っているからこそ、出版社を志しているのではありませんか?
私は危機意識で読書をしているわけではありませんが、それに近いものはあります。自分はまだまだ無知だ、これではいけないと思うから読みます。
おっさんたちは「最近の若者は本を読んどりゃせん!」ってよく言ってるじゃない?
面接官の大半がおっさんなのだから、年間10冊みたいな子には「なぜ出版めざしてるの?ハテナ?」って余計思うとおもう。
だからあんま読んでない人は、今から最低3冊の文芸作品について熱く語れるように猛読書せよ!
問題予想ですが、こうゆうのっていいね。
期末前の教室みたいでいいね。
あたいは、スマトラエリアの地図・日本の温泉かなっておもふ。
確か集英社と講談社で出たし。
読書量は、人それぞれでいいのではないでしょうか?
読むスピードが遅く、年間通して読んだ量が少なくても、その中の本一冊一冊から自分は何を感じたか、考えたか、学んだか?が大切だと思います。
読むスピードが早く、量が多いからといって単なる時間の消耗だったら意味が無いですよ。
賛成。
とりあえず私は一般的な手紙の書き方は抑えておこうかと思います。
「拝啓」の使い方だとか。
たしかに、年間読書量の話はもうええわーと思ってます。
いっぱい読んでても、ほんまにいい本ってごくわずかですし。
漫画を入れるか入れんかも、もうどうでもええわー。
ところでこの前新潮社の本社を見ました。かっこよかったです。
・・・それ充分厭味になってると思うよ。
それは良いとして、危機意識とか大学生として、とかで本を読んでる貴方は、よほど辛抱強い&意志が強い方なんですね♪
感心しました?
「父の肖像」辻井喬(新潮社刊)
◆吉川英治文学賞
『夜の明けるまで』北原亞以子(講談社刊)
◆吉川英治新人文学賞
『夜のピクニック』恩田陸(新潮社刊)
『幸福な食卓』瀬尾まいこ(講談社刊)
◆直木賞
『対岸の彼女』角田光代(文藝春秋刊)
◆芥川賞
「グランド・フィナーレ」阿部和重(講談社刊)
◆柴田錬三郎賞
「パンドラ・アイランド」大沢在昌(徳間書店刊)
「残虐記」桐野夏生(新潮社刊)
◆小説すばる新人賞
「となり町戦争」三崎亜記(集英社刊)
◆日本ファンタジーノベル大賞
「ラス・マンチャス通信」平山瑞穂
あんまり出ませんかね。
「父の肖像」「夜のピクニック」「残虐記」は新潮社刊。
「父の肖像」はあらすじくらい知っておくといいのでは。