- 2025年7月上旬
- オンライン
- 5日間
ES
| 提出締切時期 | 2025年7月上旬 |
|---|
お客様に任せていただいた資産を責任持って運用し、お客様へ貢献するという信託銀行の魅力に惹かれ、信託銀行の業務に興味を持った。しかし、信託銀行の業務にはあまり馴染みがなく、業務内容のイメージがあまりついていないため、インターンを通し信託銀行の業務について理解を深められればと思い参加を志望した。
ベンチャー企業でのインターンに力を入れて取り組んだ。自社のアセットを活かしたプログラミングスクールを打ち出すという話になり、自身もプロジェクトへ参加した。事業計画が固まり事業計画書の作成をしている最中に自分はプログラミングスクール市場への参入タイミングの遅さに不安感を覚えた。なぜならプログラミングスクールの市場は既に大手が参入しており、寡占状態にあるのではないかと考えたからである。そこで自分は未経験ではあったが、市場分析、競合分析を行い、参入可能なポジションを特定した。分析に関しては何から始めて良いのかもわからない状態だったが、自力で調べ、社長へ提案することができた。それから議論を重ね、事業計画を再考し無事ローンチすることができた。この経験から、わからないことを素早く理解する吸収力、またそれを繰り返したことにより、どんな仕事が来ても、どうにかできるのではないかという自己効力感が身についた。
自分は中学時代から6年間山岳部に所属していた。その中で自分は高校三年次に群馬県県総体で優勝することを目標に立てた。山岳部部長を務めていた自分は練習のプランを計画した。登山競技は審査項目がとても幅広い。中でも自分たちの弱点であったペーパーテスト、天気図、体力に重点を置き、日々の練習を続けた。ペーパーテストは毎日勉強の時間をとり、顧問の採点を受け順調に知識を伸ばせた。天気図も顧問に添削してもらい日々上達した。一方で体力は走り込みではあまり伸びず、山の上を想定した低酸素状態でのトレーニングに切り替えた。具体的にはマスクを着用し日々の練習をするというものである。これにより体力が伸び、登山行動中も多少の上り坂では息が上がらないようになった。万全の状態で臨んだ県総体であったが、結果は2位となってしまい目標を達成することができなかった。その理由としては自分がチームをまとめきれなかったことにある。
責任感を伴う仕事であるため、責任感のある人物であるということを主張した。